転校が多かった幼少期から学んだ環境適応力の大切さ


出生時~幼少期までのプロフィールを紹介したいと思います。

 

九死に一生を得た産後直後

1986年 私は埼玉県の大宮の病院で出生時に仮死状態で生まれました。

産声を上げなかった私は、生まれてすぐに酸素吸入器を着けられ保育器に入れられたそうです。

平均よりやや大きいサイズで生まれたため、保育器にジャストサイズではまっていたとのこと。

幸い、その後の経過は順調で奇跡的に健康に育ちました。

 

6年間で4校

1992年 石川県の小学校に入学しました。

父の仕事の関係で毎年のように転校することになるのですが、石川県の小学校だけ制服がありました。

その後は、愛知県、北海道と渡り歩き、埼玉県の小学校を卒業しました。

小学校6年間で4校を経験したことになります。転校は珍しくないにしても、ここまでの回数を経験した方はそう多くないでしょう。

次の学校でもうまくやっていけるかどうか。

環境が変わることは子どもといえど、多少はストレスがあったかもしれませんが、楽しく感じる環境を自分から作っていく工夫をしていたように今となっては感じます。

 

ニーズに自分を合わせる

例えば、愛知県の学校ではいたずらっ子が数人いて、それをまとめるような子や先生もいませんでした。

そのため、当時ほかの子より体格で頭一つ出ていた私が、いわゆるガキ大将のような役を買って出ました。

また、北海道時代は、どのクラスにもいたと思いますが、盛り上げ役のピエロを担っていました。

よく担任の先生に怒られて、数人でクラスの後ろに立たされて授業を聞いていたのも良い思い出です。

私は生来、参謀のようなポジションが性に合います。

ただし、転校の多さから、幼少期の私は空白のポジションを見つけて、そこに馴染んで円滑に過ごせるよう工夫をしていたように感じます。

 

【編集後記】

平日の夜や週末はなるべく妻がゆっくり休める環境を作ってあげようと、子どもと遊んでいます。

今は1歳2か月なので無邪気でかわいいですが、子育ての大変さを感じます。

ご飯をあげてたら、急に不機嫌になってお皿を叩き落として床を拭かなければならなくなったり。

静かだなと思って見ると、いたずらをしていたり・・・

急なタスクが出てきて、それが非合理だったり。仕事よりも大変かもしれません。

 

【一日一新】

クラフトボス ラテ

「缶コーヒーじゃないボス」というキャッチコピーで話題の新商品を飲んでみました!

程よい甘さで美味しいですが、寸胴なデザインのため持ち運びには適さないですかね。。。