名選手・名将である野村克也という人間について今こそ語りたい。
「好きなスポーツ選手は?」という問いにはまさに現役バリバリで活躍中の選手が挙がるでしょう。
私のようなアラサー世代ならイチロー選手や松井秀喜氏、今でいえば大谷翔平選手かもしれません。
しかし、私は野村克也氏が好きです。
通算成績は華々しく球史に残るレジェンドであることは間違いないですが、
現役時代をリアルタイムで見たことは当然ながらありません。
野村克也氏の魅力は知れば知るほど知りたくなる、その人間性にあるのです。
本エントリーでは敬意を込めて愛称である「ノムさん」と呼んでいきます。
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選手としての野村克也は「月見草」
選手としてのノムさんの通算成績は華々しいものです。
試合出場数のみならず、主要打撃3部門ですべて歴代2位です。
これだけの選手でありながら、当初はブルペンキャッチャー採用でした。
そして、ID野球の礎となる工夫と研究を徹底してレジェンドクラスの選手になります。
その原動力になったのはON(オー・エヌ)と呼ばれた王・長嶋でした。
王・長嶋というスター選手がいたからこそ対抗心を燃やし、成長を遂げられたのだと明かしています。
自分をこれまで支えてきたのは、王や長嶋がいてくれたからだと思う。彼らは常に、人の目の前で華々しい野球をやり、こっちは人の目のふれない場所で寂しくやってきた。悔しい思いもしたが、花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある
wikipediaより引用
ID野球と再生工場
野球を知らない方でも、「ID野球」と「再生工場」という言葉ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
低迷していた球団や戦力外となった選手を再起させる手法から名づけられました。
ミーティングではホワイトボードを使うなどして、選手にはレポートの提出を求めたんだとか。
バッティングカウントや状況に応じた判断の裏付けを尋ねるなどの緻密な野球で、
監督に就任したヤクルトでは8年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝くほどの名将です。
200年以上前の剣術書を引用し、失敗の原因を突きとめて次に活かす重要さを説いています。
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
松浦静山『剣談』より
勝手に選ぶノムさんの名采配3選
これぞノムさんという名采配を3つ挙げてみます。
他にももっとありますが、あえて私がリアルタイムで見ていたものに限定しています。
興奮しながら見ていたのを思い出します。
1.1996年オールスター 投手イチローに対して…
パ・リーグを率いた仰木監督は「ピッチャーイチロー」とコールしました。
ファンサービスを考えた、いわゆる仰木マジックです。
しかも、次の打者は松井秀喜氏です。観客は湧かないはずがありません。
この粋な(?)計らいに、ノムさんは高津臣吾投手を代打に送りました。
オールスターは選抜された選手の真剣勝負の場と考えるノムさんだからこその采配でした。
2.「イチローの弱点はインハイ」
メディアを巧みに使うこともノムさんは秀でていました。
1995年ヤクルトスワローズ監督(当時)であったノムさんがオリックスブルーウェーブとの日本シリーズに先立ち、絶好調のイチローを封じるためにメディアを利用しました。
この作戦が奏功して、この年はヤクルトが日本一を勝ち取りました。
また、試合後の監督インタビューが毎回スポーツ番組のハイライトに使用されるのはノムさんぐらいでしょう。野村語録と呼ばれた、いわゆるボヤキです。
「マー君、神の子、不思議な子」はあまりにも有名です。
3.2009年執念のクライマックスシリーズ
現時点で日本プロ野球での最後の采配となった試合。
楽天を球団創設初のCSに導き、第1ステージのソフトバンクに勝利して第2ステージの日本ハム戦に駒を進めました。
絶対的エースの岩隈をリリーフで投入した執念の継投も、最後は楽天ファンにはトラウマとなっている「スレッジハンマー」に沈みます。
試合後、両チームから胴上げされたノムさんをみてウルっと来たと同時に、このことについてマスコミから問われたインタビューでの回答が名言です。
人間何を残すかで評価されるけど、人を残すのが一番。
少しは野球界に貢献できたかなという心境だ。
日刊スポーツより引用
まとめ
ノムさんはかつて「野村克也-野球=ゼロ」と語っていました。
それだけ愚直に野球に取り組んできたということでしょう。
今回の件で、自宅に押し掛けたマスコミの対応をしているノムさんの姿にさみしさを覚えたのは私だけではないはず。
奥さんに先立たれると男性は気落ちしてしまうようですが、いつものボヤキをまだまだ聞きたいです。
【編集後記】
奥さんが出産のために里帰りしました。
久しぶりのひとり暮らし。解放感というよりも寂しさが強いかもしれません…。
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